マダムバタフライ世界コンクールの歩み 

第1回マダムバタフライ世界コンクール 1967年3月 東京

優 勝 マリア・ビエッシュ(ソ連・現在モルドバ) ソプラノ

昭和38年7月10日、東京・銀座東急ホテルにおいて、財界、政界、文化界有志200人出席のもとに、三浦環顕彰会理事、武智勝氏が議長となり、「三浦環賞」を制定して第1回マダムバタフライ世界コンクールを実現する決議を採択し、準備委員会を結成した。昭和39年には1年間海外のコンクール等についての調査を行い、40年1月26日にコンクール実施のため実行委員会を設置し、東洋唯一の国際音楽コンクールが実現することとなった。昭和42年3月、三浦環賞・第1回マダムバタフライ世界コンクールを外務省、文部省支援のもとに、23カ国から代表歌手、審査員の参加を得て、国立劇場と虎ノ門ホールにおいて開催した。
優勝したソ連代表マリア・ビエッシュ女史をはじめ、極めて高水準の参加者による大会と評価され、初回にもかかわらず多大の成果を収め、東洋唯一の権威ある国際声楽コンクールとしての基盤を確立した。

第2回マダムバタフライ世界コンクール 1970年5月 大阪

優 勝 ウィルマ・ヴェルノッキ(イタリア) ソプラノ

このコンクールは、オペラ「蝶々夫人」のピンカートンが3年後の春に戻ってくるというストーリーに基き、3年毎に日本で開催することになっており、第2回コンクールは昭和45年5月から6月にわたり、万国博覧会開催中の大阪で開催された。万国博ホールでの参加歌手全員出席による「世界民族音楽祭」、前回優勝者マリア・ビエッシュ女史のリサイタル(東京・大阪)ほかの関連公演を含めて盛況のうちに大会を終了した。
コンクール優勝は、イタリア代表のウィルマ・ヴェルノッキ女史であった。

第3回マダムバタフライ世界コンクール 1973年5月 長崎

優 勝 エウジェニア・モルドボニュ(ルーマニア) ソプラノ

優 勝 エミール・ゲアマン(ルーマニア) テナー

昭和48年5月、第3回大会を開催。「蝶々夫人」をテーマとするソプラノ・コンクールとして発足したこの大会も、第3回大会からテナー部門が加えられた。これは、将来総合的な国際音楽コンクールへ発展するための一つのステップとして意義づけられるものである。第1回の東京、第2回の大阪に次いで、第3回のコンクール会場は長崎市公会堂であった。関連公演として、マリア・ビエッシュを主役とする歌劇「蝶々夫人」を東京文化会館で公演。また大阪フェスティバルホールでの受賞記念演奏会は、マリア・カラス女史とディ・ステファノ氏の指導によるゼミナール・コンサートとして全国から音楽愛好者や専門家を集め、この稀有の大歌手の芸術に接する機会を提供した。
コンクールの第1位は、エウジェニア・モルドボニュ(ソプラノ)、エミール・ゲアマン(テナー)でともにルーマニア代表が占めることとなった。

第4回マダムバタフライ世界コンクール 1976年5月 東京

優  勝 ギゼラ・ツィポーラ(ソ連) ソプラノ

準優勝 渡辺葉子(日本) ソプラノ

昭和51年5月から6月にかけて第4回大会を開催。これに先立ち前回の優勝歌手等を主役に招き、歌劇「蝶々夫人」を4回公演した。この大会はソプラノ歌手が非常にハイレベルで、優勝はギゼラ・ツィポーラであったが、第2位に日本の渡辺葉子が入賞し、その後日本のオペラ界の第1人者として国際的に大活躍した。テノール部門の優勝はなく、同時2位が2名、イタリアのレナート・グリマルディとヴィンチェンツォ・プーマであった。

第5回マダムバタフライ世界コンクール 1986年5月 東京

優 勝 エバ・ブライアン(ルーマニア) ソプラノ

優 勝 ヴャチェスラフ・ポロゾフ(ソ連) テノール

1976年11月25日にこのコンクールの創始者である小林伸江が死去し、また国際情勢の悪化に伴い暫く中断の止むなきに至ったが、その後世界各国からの強い要望及び国際環境の好転に伴い、小林女史の創設の精神を引き継いで、1986年5月から6月にかけて、第5回コンクールが東京及び長崎で行われた。優勝はソプラノ部門、エバ・ブライアン(ルーマニア)、テノール部門、ヴャチェスラフ・ポロゾフ(ソ連)であった。

第6回マダムバタフライ世界コンクール 1988年9月 イタリア

優 勝 セン=ヒョウン・コー(大韓民国) バリトン

第2位 キャロリン・ジェームス(アメリカ) ソプラノ

第6回大会は初めて海外へ進出することになり、1988年9月、プッチーニゆかりのイタリア・ヴィアレッジョ市でヴィアレッジョ市及びプッチーニ・フェスティバル財団の主催の下に開催された。
この大会で、初めてアジアから韓国のセン=ヒョウン・コー(バリトン)が優勝した。第2位にアメリカのキャロリン・ジェームス(ソプラノ)、第3位に同じくアメリカのルイス・オッティー(バリトン)が選ばれた。なお、大会中、第5回大会の優勝者のヴャチェスラフ・ポロゾフ氏が記念公演を行った。
大会後、入賞者及び関係者一行が来日、東京と長崎で記念演奏会を行い、国際交流の輪を広げた。

第7回マダムバタフライ世界コンクール 1990年5月 アメリカ

優 勝 エカテリーナ・クドリアフチェンコ(ソ連) ソプラノ

1990年5月、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市で第7回大会が開催された。現地のグレーター・マイアミ・オペラハウスの主催の下、世界各国の主要オペラハウスから90名余りのプロ歌手が集まり、自慢の歌声を競い合った。
優勝の栄冠を勝ち取ったのはソビエトのボリジョイ劇場の推薦を受けた、エカテリーナ・クドリアフチェンコ(ソプラノ)であった。第1位にイタリアのアレッサンドラ・マントバーニ(ソプラノ)、第2位にブルガリアのボジダール・ニコロフ(テノール)、第3位にポーランドのテレサ・ボロウツィック(ソプラノ)が入賞した。なお、大会中、日本の伝統文化・芸能を紹介する各種イベントが現地マイアミ市で行われた。大会後、ヴァレッジョ(イタリア)、バルセロナ(スペイン)及び東京・長崎で記念演奏会が開催された。

第8回マダムバタフライ世界コンクール 1992年4月 バルセロナ

優 勝  インヴァ・ムラ・チャコ(アルバニア) ソプラノ

第1位  イリア・イサエフ(ルーマニア) ソプラノ

第2位  マリア・ホセ・マルトス(スペイン) ソプラノ

第3位   ドナテラ・ロンバルディ(イタリア) ソプラノ

第8回大会は、前回の大会後にヴィアレッジョ市やバルセロナ市でも記念演奏会を開催した関係で、オリンピックのスペイン・バルセロナ大会の年に当たる平成4年に同地で開催された。産経新聞社との共催で、スペイン大使館、イタリア大使館が後援した。優勝者はアルバニアのインヴァ・ムラ・チャコ(ソプラノ)で、第1位がルーマニアのイリア・イサエフ、第2位がスペインのマリア・ホセ・マルトマで、現在いずれも世界的に有名なプリマドンナとして活躍している。

第9回マダムバタフライ世界コンクール 2007年9月 モルドバ

優 勝  村上敏明(日本) テノール

第1位  野中百合子(日本) ソプラノ

第1位  笛田博昭(日本) テノール

第2位  アンダ・ポップ・オリンピア(ルーマニア) ソプラノ

第2位  アンナ・ネチャイエバ(ウクライナ) ソプラノ

15年ぶりに再開された第9回大会は、第1回大会優勝者のマリア・ビエッシュの祖国モルドバ共和国で開催された。国をあげての国家行事として行われた大会には、世界各国から才能あふれる若き声楽家たちが参加した。この大会で日本人初の優勝を果たしたのが村上敏明であった。優勝、第1位がすべて日本人で占められた。日本人オペラ歌手の実力を世界に知らしめる結果となった。なお大会前、日本の伝統文化・芸能を紹介する各種イベントが現地キシニョフの国立オペラ・バレエ劇場で行われた。大会後の2008年1月、東京オペラシティコンサートホールでモルドバ大会入賞者祝賀演奏会が開催された。

第10回マダムバタフライ世界コンクール

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