
20世紀に日本が生んだ世界的なオペラ歌手三浦環。約40年にわたり世界各国の一流劇場において、イタリアの大作曲家プッチーニのオペラ「蝶々夫人」を歌って絶賛を浴び、日本人初の世界的プリマドンナとして名声を博しました。
以後、アメリカを中心に歌い続け、その公演回数は2千回にも。1946年5月26日、愛弟子
小林伸江に世界を駆け巡った自分の舞台衣装を贈るように遺言し、62歳で永眠しました。
小林伸江は、この衣裳にまつわる精神を後世に伝え、第二第三の三浦環が輩出することを願い、「三浦環顕彰会」を設立。東京上野の寛永寺に恩師の墓碑を建立するとともに、ゆかりの深い長崎市のグラバー邸に三浦環扮する蝶々夫人の立像とプッチーニのレリーフを寄贈しました。

1963年、政界・財界・文化界有志200名が集い「三浦環賞」を制定するとともに、「第1回マダムバタフライ世界コンクール」実行委員会を組織。 1967年に第1回大会を東京で、1970年には第2回大会を大阪で開催しました。1973年の第3回大会では、世紀のプリマドンナ マリア・カラスと世界的テノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステファノの「ゼミナール・コンサート」もあわせて開催され、画期的な国際音楽祭典と注目をあつめました。1976年の第4回コンクールでは、日本のオペラ界をリードし、世界のオペラステージで活躍した渡辺葉子が入賞しています。
小林伸江の死去と国際情勢の悪化によりしばらく中断したあと、1986年、第5回コンクールが東京で開催されました。1988年の第6回コンクールはプッチーニ氏ゆかりの地イタリア ビィアレッジョ市において、1990年の第7回コンクールはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市で開催され、記念演奏会がスペイン、イタリア、日本で各地で実施されました。1992年、第8回コンクールはスペイン バルセロナ市での開催となり、この年はバルセロナオリンピックということもあり、参加者も多く盛大な大会となりました。

その後、三浦環顕彰会を発展改組して「マダムバタフライインターナショナル」を設立、
小林伸江の姪
小林裕子が理事長に就任しました。
三浦環および愛弟子であった
小林伸江のオペラ「蝶々夫人」にかける芸術的精神を受け継いで「マダムバタフライ世界コンクール」を開催し、全世界からこのコンクールに参加する才能ある若き芸術家たちの発掘と育成に努めるとともに、「マダムバタフライインターナショナル(前・三浦環顕彰会)」が長崎のグラバー園に寄贈した「お蝶夫人立像(三浦環の像)」のレプリカを世界のオペラ劇場に寄贈し、オペラ「蝶々夫人」を通して「世界平和の架け橋」になることを使命としています。
2007年9月には、15年振りにモルドヴァ共和国で第9回マダム・バタフライ世界コンクールを開催。現在は、2014年に第10回世界大会を日本で開催すべく活動を続けています。
2010年には10年の歩みの実績が認められ、「一般財団法人マダム・バタフライインターナショナル財団」として認定されました。「マダムバタフライ世界コンクール」の開催とそれにつながる音楽活動として、音楽会を開催し、音楽文化の向上発展にも貢献しています。

| 1951年 |
三浦環顕彰会設立。 |
| 1953年 |
東京上野・寛永寺に三浦環の墓碑を建立。 |
| 1963年 |
長崎市のグラバー邸に三浦環扮する蝶々夫人立像、プッチーニのレリーフを寄贈。
政界、財界、文化界の有志200名出席のもと「三浦環賞」を制定。
第1回マダム・バタフライ世界コンクール準備委員会を結成。 |
| 1965年 |
第1回マダム・バタフライ世界コンクール実行委員会を組織。 |
| 1967年 |
第1回マダム・バタフライ世界コンクールを東京で開催。 |
| 1970年 |
第2回マダム・バタフライ世界コンクールを大阪で開催。 |
| 1973年 |
第3回マダム・バタフライ世界コンクールを長崎で開催。
特別ゲストのマリア・カラスによる「ゼミナール・コンサート」を同時開催。 |
| 1976年 |
第4回マダム・バタフライ世界コンクールを東京で開催。 |
| 1986年 |
第5回マダム・バタフライ世界コンクールを東京で開催。 |
| 1988年 |
第6回マダム・バタフライ世界コンクールをイタリアで開催。 |
| 1990年 |
第7回マダム・バタフライ世界コンクールをアメリカで開催。 |
| 1992年 |
第8回マダム・バタフライ世界コンクールをスペインで開催。 |
| 2007年 |
第9回マダム・バタフライ世界コンクールをモルドヴァで開催。 |
| 2010年 |
「一般財団法人マダム・バタフライインターナショナル財団」として認定。 |